しらんがな

なんでもない人。読んだ後は心で叫びまひょう。「あんたのことなんか知らんがな!」

ひとりぼっち

ころしたい  という言葉がある

人をころしたい

誰かをころしたい

そう人は思ってきたよな

 

教科書には、感情やら気持ちは載ってない。

人をころしちゃいけないと

君はどこで教えてもらったの?

なんでころしちゃいけないと?

理由を、綺麗な言葉で述べた

人はいなかったかい?

 

ころしたいと思うほどの感情を

綺麗な言葉で表せるのは

悪魔みたいだな。

不思議だとふと思ったんだ

人をころしたいという言葉がある中で

自分をころしたいは、あまり知らない。

 

自分に対して消えたい

しにたい、いなくなりたいという感情を

知っている人も

自分を、ころしたいとは言わない

言わないだけ?、、

ちがう気がする

自分を、ころしたいとは

あまり思わないんじゃないか。

 

時を遡った歴史の中で

ひとをころし命を奪うことが、正しい

そんな時がこの国もあったでしょう。

「非常事態になると人はおかしくなる」

そんな風に言葉を残した人もいる。

歴史のある時を、きりとれば

人を、ころすことが

命を奪うことが

正しいとされた時があるんだとすれば

 

今だって何が、ただしいか

本当は本当はわからないんじゃないのか

50年150年先のミライの人は

現在の正しいを

どう捉えて生きていくんだろう

 

正しさは、正しいかもしれない

その人にとっては

だけど正しさが、ひとを傷つけることも

時としてあることに

その人は気づいているだろうか。

目に見えぬ周りの人はあの人は凄いという。自分だけで正しいが成り立つ世界

だから

だから

ある意味で調子に乗ってく

加速する

気づかぬ内に

ん?言い方変かな。

正しいという刃が、心を深く刺してく

でも見えないから 

刺したことに気づかない。 

 

時に思う

誰も傷つけぬ正しさって

あるんだろうか。

限りなくあると言いたくもなる正しいも

ある。

けれど、その正しさには

自分の痛みが伴っていたりする

 

そう思う

 

正しいことと大切なことは

同じか

 

問い続けなければ

自らの正しいを

ひとは争える生き物だ

争う

いつか僕らのずっと先の先の

未来の友達が

訳もわからず

 

争いひとを

記憶を

心を

置いてけぼりにする