しらんがな

なんでもない人。読んだ後は心で叫びまひょう。「あんたのことなんか知らんがな!」

いま

 

 

いま2018年5月

平成さいごの5月らしい

あらら、お腹いたい

あらら、ズキズキ

 

 

そちらにも暦はありますか?

木製の橋に問いかけます

そちらに争いはありますか

そんなもんもないか。

勝手に頷きます

 

今は、ですね

小鳥が鳴いていますよ

子猫と親猫も初めて見ました

空は、青一色です

花は枯れて、新しい花が咲き

もうすぐ向日葵の季節を迎えます

小学生の声がします

登校班か

 

お香のマッチを擦りました

今はマッチがあるんですよ

姫路のマッチhibiというらしいです

百貨店がなくなり寂しくなったと

お話しまして

そうですね すら言えませんでした

自分が寂しいと感じたのは、

日常が変わったからです

形は、残っているのに

誰も触れることができないような

場所に思います

そうだ

形は、あるのに

そこに行っても

誰もいない

知っている人々がいない

笑った顔、困った顔、無表情

しんどい顔、悩む顔、元気な顔

表情が何もないのが

寂しいんだと思います

表情が生まれる場所がなくなったのが

寂しく思わせるのかもしれません。

 

向き合い方がわからない日

難しい日が存在しまして

だけど

綺麗に花が咲いてまして

見事に色彩づいて

ニッカニッカ!していました。

あるポストカードに出会いまして

日付にちなみ

メッセージが描いてあるんですよ。

一つのご縁が、向き合い方が分からぬ日に少し優しさを下さることが

あるのだと知りました。

 

いまは、まだ

受け入れ方が分からない事が、とっ散らかっています。グジャぐじゃしてます

この歳にもなり恥ずかしながら

一つ一つ整理していこうとしますが

中々難しいです

まぁ、がんばります そこそこに

 

そんないまです

いまは、500年遡れば

1518年ですか永正15年

地球上からの金星の太陽面通過が

起こった日らしいです

どんな日常だったんですかね

 

500年後は、2518年

規模が大きすぎると

想像すらできないと

その場にいた僕等でもと

言われたことがあったのを

思い出しました。

2518年は、近いんですかね?意外と

遠いんですかね

地球🌏は青いんですかね

変人とかもういないのかな

いてほしい

手紙とかあるんですかね

 

1518年と2018年そして2518年

その一連の時の流れを

目で追えたら何かなりますかね

そんな時の中で

何が一緒なんですかね

人がいる?

自然がある?

争いがある?

 

是非、2518年も

手づくりの文化があればなと

願っています。